「弘志、今日ってどこ行くんだっけ?」
翌日の土曜日、私は彼と遊びに行くことになった。茜とご飯に行けなくてとても残念。部屋に飾ったたった一つのササユリと引き換えに、彼女と久しぶりに会う機会を逃したのだ。
彼に、「土曜日は出かけよう」と言われたのは、昨日寝る前だった。
「今週末はずっと家にいて」という割には、自ら遊びに誘ってくるところが少々いい加減だ。思うに彼は、私を家に閉じ込めておきたいというよりは、“私を自分の側に置いておきたい”のだろう。人としてというよりかは、アクセサリーか何かにでもなったような気分だ。
彼の自尊心を満たす飾り。
ただ彼には、あの日一緒にいたネックレス男みたいに、アクセサリーを身に纏うほどの華やかさも勇気もなかった。
「特にこれと言って大した予定はないけど。そうだな、ショッピングにでも行くか」
ショッピング。
つまりそれは、彼にとっては一ミリも楽しくない道楽だ。
ただただ私と一緒に出かけられたら良いという彼の短絡的思考が生み出した行為。
それでも、何も文句を言うことができない私は、彼の言うことにしたがって、「分かった」と出かける準備をする。
財布やハンカチ、それから忘れないようにスマホを鞄に入れようとした時。
「あ、待って」
どうしてか彼が、私の腕をガシッと掴んだ。
「これは、置いていって」
「え?」
右手で持っていたスマホを、なぜか彼に奪い取られる。
私は唖然とした。
「どうして? スマホ持ってっちゃだめなの?」
「うん。今日は俺と一緒だから持たなくても良いだろう? スマホがあると、由梨はいつも画面見てばっかで、デート楽しめないじゃん」
そう。
彼の言う通り、私は彼と出かけているほとんどの時間を、スマホの画面とにらめっこすることに費やしていた。
だって、とりわけ買い物が好きなわけでも、遊園地のような施設ではしゃぐわけでもない弘志と一緒に永遠と会話をするのが疲れるから。
それなのに今日は彼が私にスマホを持って行くなと。
ありえない……。
そう思いながらも、これ以上彼の気分を害するとまた面倒なことになりかねないため、ここは大人しく従っておく。
今日はきっと、曇天模様だ。
予想通り、彼とのデートは本当に退屈なことこの上なかった。
繁華街へ繰り出し、特に何か買い物をするわけでもなく時々通りがかりのアパレルショップに入ったり、本屋、DVDレンタル店で各々見たいところを回ったりした。
一つの店の中でこれ以上暇を潰せないくらい長居する時は、普段ならスマホをいじって暇になるのを回避するのに、今日はそれができない。
弘志の方も、自分から「出かけよう」と誘って来た割には、私と二人の時間を楽しむというより、自分が好き勝手にウィンドウショッピングを楽しんでいるというように見えた。
「はあ……」
一体私は、何をしているのだろう。
漫画コーナーで立ち読みしている弘志をよそに、私は本屋の入り口で道ゆく人をなんとなく眺める。
ここらで一番の繁華街というだけあって、外を歩く人はやはりカップルや女の子同士のグループが多い。そのどの人たちも、一緒に来た人との会話を楽しんでいるように思えてならない。
きっとそれは私の勘違いで、中には私たちみたいに会話が弾まないカップルや、友人グループの中で一人だけ輪に入れないという人もいるはずだ。
しかし、少なくとも隣の芝は青く見えてしまう今日この時は、店の前でポツンと彼のことを待っている自分が、ひどく惨めに思えた。
「もう帰りたい」
思わず漏れてしまった本音を聞いたのかそうでないのか分からないが、トントンと肩を叩かれた私が振り返ると、弘志が「お待たせ」と声をかけて来た。
「遅かったね」
「ああ。ちょっと、漫画の続きが気になってさ。ごめんね」
「別にいいけど」
彼の、「ごめん」に私はすぐに騙される。
たとえ彼が原因で喧嘩をした時でも、「由梨、ごめん」とすぐに謝られると拍子抜けするというか、ずっと怒っている自分が情けなくなってついつい許してしまう。
そして私は、どういうわけか、自分の非をきちんと認めて謝る彼を、好きだと思っている。
これだけ自分の自由を奪われたとて、彼は“束縛”以外に、本当に何も非の打ち所がない男なのだ。
「ちょっと、休憩しない? あっちで」
彼が、笑って指差した方にあったのは、公園。
それほど大きな公園ではないが、おそらく繁華街で歩き疲れた人たちがひと休みするのにはうってつけの場所だった。
「うん。いいよ」
ちょうど足の疲れを感じていた私は、彼の誘いに快く了承する。
「俺、飲み物買ってくからさ、由梨は先に座っててくれる?」
「え、うん。分かった」
こういう時だけ気が利く弘志が、私を置いて、近くの自販機まで走る。
私は彼の言う通りに、先に公園の椅子に腰を下ろした。
子供が遊ぶような遊具はないけれど、ちょうど良い感じに木陰があって涼しい。
「疲れたー」
椅子に座ると、自分が思っていた以上に疲労というものは溜まっていて、どっと身体が重くなるのを感じた。
そのまま首を上に上げ、木々の隙間に映る空を見上げる。
6月の梅雨時、久しぶりに雨が降っていない。
快晴、とまではいかないが、晴れの空はいつ見ても心地良い。綺麗な空を見ていると、どんな荒れた気持ちも穏やかにしてくれる。
「はい、これ」
「ひゃっ」
首筋にひんりと冷たい感覚を覚え、背後から現れた弘志の顔を仰ぐ。
「ははっ、びっくりした?」
「もう……脅かさないでよ」
「ごめんごめん」
渡されたアイスティーを頂戴しながら呆れる。
しかし私は、時々見せる、彼のこういったお茶目な一面が好きだったのだ。
ブラックコーヒーを手にした彼が私の隣にストンと腰を下ろす。
「はあ〜疲れたね。由梨、足大丈夫?」
「え? う、うん。大丈夫」
「そうか」
いつになく私を気遣う弘志のことを不思議に思いながら、アイスティーの蓋を開けてゴクゴク喉を鳴らしながら飲んだ。喉が渇いている感覚はなかったが、一度口に入れると、脳が「もっと、もっと」とせがんでいるのか、500mlのペットボトルの中の液体が、みるみるうちに減っていった。
「ぷはっ」
私がペットボトルから口を離すと、彼がぷっと吹き出した。
「ビールでも飲んだみたいな勢いだな」
「な、喉が、渇いてたのよっ」
彼にツッコまれるのが恥ずかしくて、私は顔をそっと伏せた。
「買って来て良かった。由梨がこんなにアホみたいに飲んでくれるなら」
「アホで悪かったわね」
彼が年上の余裕で私をからかって、それにつられた私はまんまと拗ねる。
そういえば、彼と交際を始めて数ヶ月の頃は、こうしたテンポの良い楽しい会話が多かったなと、ふと思う。
それがいつの間にか、私を自分の元に縛り付けておきたいという彼の自分勝手な欲求が見え隠れして、私はそれに嫌々ながらも従っていた。
「俺さ」
彼が、唐突に真面目な声色で口を開いた。
「な、何?」
彼と私の間に流れる空気がガラリと変わって多少戸惑いながら聞く。
「由梨のことが本当に好きなんだ」
「どうしたの急に?」
「いや、なんとなく、今言っておきたくて。由梨は俺のこと、正直うざいと思ってるかもしれないけどさ」
「そんなこと、ないよ」
意外だった。
彼が自分を客観視することができているだなんて、思いもしなかったから。
「でもやっぱりさ、ほら……いつも由梨には、俺の言うこと聞いてもらってるから」
「本当にどうしたのよ、急にそんなこと言い出すなんて」
「理由とかないんだ。本当に今、伝えておきたくて」
「……そう」
その時ブルブルッと、携帯の着信音がして、彼が徐にズボンのポケットから自分のスマホを取り出した。
「出ないの?」
人の画面を見るほど悪趣味でないため、スマホの画面を見つめるだけで応答しようとしない彼に、私は訊いた。
「……ああ。いいんだ、これは」
「そう」
「とにかく、俺は由梨のことを誰よりも好きだからさ。それだけ。覚えておいてくれたらいい」
「うん、分かったわ」
なぜ彼が唐突にそんなことを言い出したのか、私には分からなかったけれど、彼には彼なりに思うことがあったのだろう。
今はただその好意を、素直に受け取っておくことにする。
つづく
鈴木 萌里
京都大学文学部卒。2019年春から会社員。
本嫌いがなぜか突然本好きに転向。
小学生の頃に小説家を志す。
第4回田辺聖子文学館ジュニア文学選入選。
2019.1〜2019.5まで、京都天狼院書店HPにて、『京都天狼院物語〜あなたの心に効く一冊〜』を連載。得意ジャンルはヒューマンドラマ。
日々会社帰りの執筆活動を楽しみに生きている。
Twitter @rii_185515
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