『アラサーだって、翼』第二話 ギャンブル道化師(4)

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『ごめん、今日遊びに行けなくなった』

 

和樹との交際が始まって一年が過ぎた、ある日のこと。

一年、といえば丁度季節ごとのイベントを1回経験し、仲がより一層深まる頃だろう。そして、恋人らしい不安定な関係から、落ち着きのある家族のような関係に変わるタイミングでもある。

 

「え?」

 

待ち合わせしていた公園で、周りに誰もいないにも関わらず、思わず声が溢れる。

7月1日、日曜日の正午。

LINEのトーク画面上に現れたその文字に、私はがっくりと肩を落とした。

今まで彼が、平日に約束を反故にすることはあっても、休日にドタキャンすることなんてなかったからだ。

その上、本当の待ち合わせ時間は11時で、かれこれ1時間も待っている。

最初は少し遅れてるだけかと思ったが、次第に来るのか来ないのかとそわそわし、道中で何かあったのではないかと思うと不安が押し寄せた。

 

『分かりました。ひとまず、帰ります』

 

震える指で、スマホのキーボードを一つずつゆっくりプッシュする。

この場で理由を聞けば、なんだか泣けてきそうな気さえして、感情が高ぶらないうちにそうしたかったのだ。

 

『ごめんね』

 

スマホの画面越しに、和樹がいつものごとくすまなそうに眉を下げて謝る姿が浮かんできた。

一体なにが「ごめんね」なのか、彼自身把握しているのだろうか。

そんな素朴な疑問が拭えぬまま、私は重たい足取りで帰宅した。

『フラワーショップたかやま』の二階にある自分の家に帰り着く頃には、幾分か頭も冷えて冷静に物事を判断できるようになっていた。

「もしもし、和樹くん?」

彼に何があったのか、単に寝坊したり大事な用事を思い出したりしたから出てこられなかったのかを確認したかった。

一刻も早く、この不安を拭い去って欲しかった。

だから、居間でのんびりとテレビを見ている両親に声をかけることすらせず、部屋に入るやいなや、彼に電話をかけていた。

『もしもし、伊織』

電話の向こうで彼が私を呼ぶ声に、どことなく元気がない。

「和樹くん、今日はどうしたの? 何か急用でもできた?」

『あ、ううん。それが、ちょっと熱があるみたいで。今日は約束守れなくて、ごめん』

熱がある、と聞いて半分ほっとし、半分心配になった自分に少しだけ安堵する。

電話をかけるまでは、もっとよからぬ想像をしていたからだ。それが外れて良かったと。

「そっか。大丈夫? 今日はゆっくり休んで」

看病に行くとか、そこまでせずともせめて体に良いものを作って家まで持っていくとか、気の利いたことの一つでもすれば良かったのかもしれない。

けれど、この時の私には、不安や安堵の気持ちに振り回されて、これ以上何をする気にもなれなくなっていた。

 

その日からだ。

彼が、ことあるごとにデートの約束を反故するようになったのは。

ある時は会社の付き合いで。

またある時は、体調不良で。

気がつくと丸3ヶ月、まったく会っていない状態になった。

「ねえ、それってやばくない? 伊織たち、本当に付き合ってるの……?」

例によって、姫野さくらと遊ぶことになった日曜日。本当なら今日も、和樹と一緒に休日を過ごすはずだった。

季節は10月で、調子に乗って薄着をしていると肌寒いと感じることが多くなった。晴れの日と曇りの日でかなり気温が違うのもまた、憎々しい。さくらと二人で電車に乗り、紅葉が綺麗だというメタセコイヤの並木路のある公園まで遊びに来たというのに、肝心のメタセコイヤはまだ色づいていない。

「当たり前よ———って言いたいところなんだけど……正直私も自信なくなってきちゃった……」

遠距離恋愛でもないのに、恋人同士が3ヶ月も会わないこと———それが、正しいのか正しくないのかなんて、人にはそれぞれ事情がある分、はっきりとは口にできない。

けれど、少なくとも私は満足していない。せっかく好き合って付き合ったのに、この状況は嫌だ。

それなのに、私は何も自分から行動ができない。

いつも、いつだって。

傷つくことになるかもしれないその先に、自分から行けない。足を踏み入れる前に、怖くて立ちすくんでしまう。

「まあ、そうよね……。ただやっぱり、もう一度彼と頑張って会ってみたら? 意地を張ってるのは伊織だけで、彼の方は本当はどうってことないのかもしれない。それでももし、最悪な方に向かっているのだとしたら、早めに知れてラッキーと思わなくちゃ」

彼女の言う、「最悪な方」が何を意味しているのか、言わなくても分かる。

考えたくもないが、和樹が他の女の子と浮気している———という話だ。

「分かった。ちょっと強引にでも会いに行ってくる」

そうだ。私は島村和樹の恋人なのだ。会いたいなら、たまにはわがまま言って駄々こねて、会いたいとごねたらいい。

それでも応じないなら、多少無理にでも様子を見にいく権利はあるのだ。

「とにかく、頑張って。応援してる」

さくらが、私の背中をぽんっと押してくれた。

先ほどまで肌寒くて震えそうだった背中が、たったそれだけでじんわりと温かくなるのを感じた。

 

 

「わ、お花ってこんなに変わるんですね」

 

翌々日の火曜日。

私にとっては、一週間の仕事の始まり。

この時期の季節の移り変わりはとても早くて、いつの間にか店内で販売する花の種類も、夏とは一新している。ちょっとずつ入れ替えているから自分ではあまり気にも留めないが、久しぶりにやって来るお客さんにとっては違うようだ。

「いらっしゃいませ。あなたは確か……」

どこかで見たことのある女性客。

焦げ茶色の髪の毛。以前より伸びたのか、胸の辺りで自然にウェーブしている。媚び過ぎず、それでいてきちんと綺麗な外見をキープしている姿が、記憶に新しい。

「はい、6月にここでササユリを買った者です」

にこやかな表情で店員である私にそう言ってくれた。

「やっぱり、そうだったんですね。いつもありがとうございます」

やはり、同じお客さんが何度も店を訪れてくれるのは嬉しいものだ。それだけ、心に残るお花を提供できているということだから。

「いつもだなんて、そんな。会社の近くだから、久しぶりに寄ってみようかなって」

「お近くで働かれているんですね」

一緒だ。和樹も、『フラワーショップたかやま』から徒歩圏内の会社に勤めている。家の方向こそ逆であるため、普段は約束しない限り会わないが、その気になればいつでも会いに行ける距離なのだ。

「ええ。歩いて5分ぐらいなんです」

徒歩5分、と聞いて、私の胸がざわつき始める。まさか、この辺にオフィスなんて探せばいくらでもあるのだから、そんなはずは。

「失礼ですが、お勤めの会社は××株式会社でしょうか?」

考えるより先に、口が滑っていた。

お客様に対してそんな個人情報を聞くなんて、失礼極まりない。

「すみませんと咄嗟に謝ったが、私の心配を他所に、お客の女性は「えっ」と目を丸くしていた。

「よくお分かりでしたね」

「え、ええ……て、本当にその会社なんですか?」

「はい。びっくりしました。ひょっとしてどなたかお知り合いでも働いていらっしゃるんですか?」

彼女は冗談でそう訊いたに違いない。

だって、そんな偶然があるなんて、誰も考えやしないじゃないか。

「実は、私の恋人が、そこで働いているんです」

自分の彼氏のことを他人に「恋人」だなんて言ったのは人生で初めてだった。「彼」でもなく、「彼氏」でもなく、「恋人」。

「え、そうなんですか! それはすっごい偶然」

「はい。島村和樹っていいます。ご存知でしょうか」

同じ会社なんだから、知っていないことはないだろうが、考えてみれば彼の会社がどれほど従業員同士仲が良いのか、あまり聞いたことがなかった。

「島村!?」

唐突に、彼女は頓狂な声を出して大袈裟に驚いた。

やっぱり二人は知り合いなんだろうか。それは本当になんというか、偶然にしては出来過ぎている。

「ど、同期だわ」

「え?」

「だから、島村和樹、私の同僚なんです」

「まあ」

私も彼女も、衝撃という二文字では表せないぐらいの驚きようだった。

まさか、彼とこんなに身近にいる人がお客さんとして何度かうちに来てくれていただなんて。

考えてみれば、職場の近くということもあり、全然ありえない話ではなかった。ただ、私はこれまで人より狭い人間関係の中で生きてきたため、自分の知り合いと海外でばったり出くわしたとか、初対面なのに実は共通の知り合いがいたとか、そういった世間の狭さを感じたことがなかったのだ。

「ねえ、店員さん、何歳?」

「え、私ですか? 私は、27歳です」

「じゃあ、一つ年下ですね。私は28なんです。確か、島村もそうですよね」

「え、ええ」

「だったら、歳も近いし、友達になりません? 今は店員と客だけど、私にはそんな堅苦しい感じで話さなくて良いので!」

段々と打ち解けてきたのか、私よりも一歳年上だという彼女は、嬉しそうに笑って私にそう提案してきた。

「良いんですか?」

「もちろん。店員さん綺麗だし。島村がこーんな清楚系な女の子と付き合ってるだなんて、知りもしなかった」

「そんな……でも、ありがとうございます」

女の人から、綺麗だとか清楚だとか、ほとんど言われたことのない私は、和樹の同僚だという彼女の言葉が、とても嬉しかった。

「私、笹塚由梨。よろしくね」

「由梨さん。名前も“ユリ”なんですね」

「ははっ。実はそうなの。だからこの間も、ユリの花を買っちゃって」

「お似合いです。とっても」

「ありがとう」

花のように笑う由梨が、いつかここでユリの花を買って行った時より何百倍も美しく見える。

「私は、高山伊織と申します。ここの店長で、和樹とは付き合って一年と3ヶ月に、なるんですけれど」

思わずその先を口走ってしまいそうで、私は咄嗟に唇を閉じた。今自己紹介をしたばかりの人に話すことでもない。

だが、「どうしたの? 和樹と何かあったの?」と訊く由梨の姿を見て、心が叫んでしまっていた。

「由梨さん、私を助けてくださいっ」

 

 

 

つづく

 

『アラサーだって、翼』第一話 束縛男と私のユリ(1)
『アラサーだって、翼』第一話 束縛男と私のユリ(2)
『アラサーだって、翼』第一話 束縛男と私のユリ(3)
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*Profile
鈴木 萌里

京都大学文学部卒。2019年春から会社員。
本嫌いがなぜか突然本好きに転向。
小学生の頃に小説家を志す。
第4回田辺聖子文学館ジュニア文学選入選。
2019.1〜2019.5まで、京都天狼院書店HPにて、『京都天狼院物語〜あなたの心に効く一冊〜』を連載。得意ジャンルはヒューマンドラマ。
日々会社帰りの執筆活動を楽しみに生きている。

Twitter @rii_185515
note  https://note.mu/rii_185

 

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