「映画、本当に面白かった」
あれから3ヶ月後に私たちは交際を始めて、今日は二人で映画を見に来たのだ。
大人向けのビターテイストな洋画。洋画らしいコミカルな場面と壮大な音楽、主人公の人生の物語に心を揺さぶられる。そんなお話。
「伊織に勧められて来た甲斐があったよ」
二人の休みが被るのは日曜日しかないため、私たちは週に一度デートをするのが日課になった。
このペースでデートをするのが多いか少ないかは別にして、私はとても幸せだった。
なぜなら私は、この歳まで男性と交際をしたことがほとんどなかったからだ。
彼——島村和樹は、『フラワーショップたかやま』から徒歩5分圏内にある医療機器メーカーに勤めていた。管理職で、普段はほとんど内勤が多く、その点お昼もゆっくりと職場近くの飲食店に行けるらしい。
初めて会った時から思っていたことだが、彼はとてもおっとりとした性格をしている。自分自身、内向的で派手な見た目や性格の人が苦手なため、彼とは最初から波長が合った。
一緒にいて、頑張って相手の調子に合わせるのではなかなか気が休まらないが、和樹となら、ずっと一緒にいても全然疲れない。
そして何より彼は優しかった。
「これからどうする?」
見たかった映画が終わると、時刻は午後6時を回っていた。
「夜ご飯にしようか」
「ええ。私、ちょっと調べてみる」
映画館のある駅前のショッピングセンター周辺には、飲食店を探して止まない若者たちが大勢いる。
私たちも多分に漏れず、そんな夕暮れ時の道を歩いてお店を探した。
ポツ。
マップのアプリを開いたスマートフォンの画面に、水滴がぶつかる。
「あら、雨」
ポツ、ポツ、ポツ
と、続けざまに雨は降り始める。
「急ごう」
雨脚が強くならないうちに、周辺のご飯屋さんに入ろう。
そう思って早歩きを始めたとき。
「わっ」
急に、ザアッと激しい雨に変わった。
「あっち、走ろう!」
和樹が私の右手を引っ張って、高架下までぐんぐん走る。
「あ、ちょっと待って」
まるで子供みたいに、彼の足の速さについていけない私が、もつれる足を頑張って早送りさせる。
「もう少し、あの橋の下まで!」
和樹が前方50メートル先を指差して言う。
大きな高架橋は、この激しい雨の中でも自分たちを守ってくれそうだった。
私は彼に手を引かれながら必死に足を動かした。
「はあっ」
肩でゼエゼエと息をしなければ、身体中の酸素が尽きてしまいそうだった。
そうして本当にあと少し。
あと5メートルも行けば高架下に辿り着くといった時だった。
「……っ」
ぐいっと。
彼と繋れた右手にブレーキがかかり、腕に痺れるような痛みが走ったとき、私は前を走っているはずの彼よりも一歩前にいた。
「和樹くん?」
突然その場で固まってしまった彼の、一点に注がれた視線の先を、私は必死に目で追いかけた。
パ チ ン コ
彼の視線の先にあったその文字が、悪天候で薄暗い中、目が眩むほどのネオン光を放っている。
実際、目が眩んだのだ。
彼の——島村和樹の目が、その瞬間、この数ヶ月の間に見てきたどんな彼の瞳よりも、生きて見えた。
彼はその時、確実に“活きて”いたのだ。
私が知る、どの「島村和樹」よりもずっと。
思えばその時から、彼は遠くに行ってしまったのだと思う。
私たちの交際は、側から見れば最高に穏やかで、マイペース。
久しぶりに、私の数少ない友人とご飯に行った際に自分たちの話をすると、「えっ」と驚かれたこともある。
「伊織たちって、どれぐらい会ってるの?」
「うーん、前は週に一回だったけど、最近は2週に一回とか、1ヶ月に一回かなぁ」
「まあ、それは丁度良いよね」
彼女は私は高校生の時に一番仲の良かった、姫野さくらだ。
私よりはいくぶんか社交的で、それでいて落ち着いていて優しい。
静かな場所で二人でおしゃべりするのが楽しい——そんな、一緒にいて心地よい友人だった。
「私も、今が丁度良いな」
「そうよね。無理せず気負わずが一番。それで、二人で会う時は何してるの? お出かけ?」
「うん。お出かけすることも多いけど……でも最近は、特に何もしないの」
「えっ? 何もしないってなに? おしゃべり?」
「ううん。本当に何もしない。ただ黙って家でご飯食べたり本読んだり漫画読んだり。それと、ぼーっと」
「ぼーっと……? 何だそれ、どんだけ平和なの」
さくらの驚きはもっともだ。
しかし私たちは本当に、二人でいるときにちょっとした話すらしないことがよくあった。
それが良いか悪いかと聞かれると微妙だ。正直私はもう少し楽しくおしゃべりしたり、ロマンチックなデートスポットに出かけてみたりしたい。
けれど、和樹は違うのだ。
よっぽど私がはっきりと要望を口にしない限り、多分そういう恋人らしいことをしようとはしない。
いや、正確には、恋人らしいことをしなくなったのだ。
「伊織は、それでいいの?」
「え、うん」
「本当に? 私と遊んでたときは、よく二人で遊びに行ってたじゃない。夏祭りも旅行も、二人で」
さくらは、私との高校時代の思い出と、今の私と彼の現状とのギャップに、ついていけないようだ。
「ほら、私っていつも、さくらとしか遊ばなかったじゃない。もともと、元気に色んな遊びに手を出すの、苦手だったのかも。今の、彼との付き合い方に満足してるの」
言いながら、本当に? と自分の声が心の奥で反芻した。
けれど、親友のさくらは、それを打ち消すほどの激しさを持ち合わせていない。
「伊織がいいならそれでいいのよ。お節介なこと言ってごめんね」
ほら。やっぱりさくらは優しい。
「ううん。こっちこそ、変な話になってごめんね。さくらとなら、また夏祭り行きたいな」
「それはもっちろん!」
ふふっと、二人で顔を見合わせて笑う。
さくらには、あまり彼の話はしないようにしよう———そう心に誓った。
つづく
⇒『アラサーだって、翼』第一話 束縛男と私のユリ(1)
⇒『アラサーだって、翼』第一話 束縛男と私のユリ(2)
⇒『アラサーだって、翼』第一話 束縛男と私のユリ(3)
⇒『アラサーだって、翼』第一話 束縛男と私のユリ(4)
⇒『アラサーだって、翼』第二話 ギャンブル道化師(1)
⇒『アラサーだって、翼』第二話 ギャンブル道化師(2)
⇒『アラサーだって、翼』第二話 ギャンブル道化師(4)
*Profile
鈴木 萌里
京都大学文学部卒。2019年春から会社員。
本嫌いがなぜか突然本好きに転向。
小学生の頃に小説家を志す。
第4回田辺聖子文学館ジュニア文学選入選。
2019.1〜2019.5まで、京都天狼院書店HPにて、『京都天狼院物語〜あなたの心に効く一冊〜』を連載。得意ジャンルはヒューマンドラマ。
日々会社帰りの執筆活動を楽しみに生きている。
Twitter @rii_185515
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