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『アラサーだって、翼』第二話 ギャンブル道化師(6)

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由梨が私の店にやって来たのは、それからちょうど一週間後。

言うまでもなく、その週の日曜日も和樹とは会えていない。

 

「伊織さん、あいつ、もうやめた方が良い」

 

切羽詰まった表情で開口一番、彼女はそう言った。

他にお客さんがいなくて良かったと思う。

そうでなければ、その瞬間彼女に問い詰めていたみっともない自分を、他の誰かに見られていただろうから。

「何が、あったんでしょうか。やっぱり浮気……?」

「いや、違う。島村は浮気なんかしてなかった」

「え、それなら———」

 

「借金」

 

聞きなれない言葉が、彼女の口から漏れて、私は思わずその言葉を反芻した。

 

「しゃっきん……?」

 

異国の言葉でも口にするかのように、その意味を必死に考えようとするが、全然納得がいかない。彼に借金があるなんて、考えたこともなかったから。

 

「どういうことでしょうか。借金があるだなんて、そんなの聞いたことありません」

 

「そうでしょうね。そうなったのは、ついここ数ヶ月の間だって聞いたわ。島村の家を覗きに行った時さ、始め全然インターホンに出てくれなくて。オートロックでもなかったし、こそっと玄関のドアノブ回してみたら鍵すらかかってなくて。失礼だと思ったけど、勝手に上がらせてもらったら、電気もつけずに島村がベッドの上でぼーっとしてるの。会社ではいたって普通なんだけどね。なんかもう、会社で見る島村とは全然違ってて、人生諦めたような顔してた。『どうしたの』って問い詰めたら、借金で死にそうなんだって。電気もガスも止められて大変なんだって」

 

「そんな……」

 

初めて聞く彼の事実に、私は呆然とした。

彼に借金があるだなんて、そんな生活をしていただなんて、思ってもみなかったから。

「彼はどうしてそんなことに……?」

未だに信じられない気持ちで彼女に問いかけた。

彼がそんなことになったのは、何か不幸があってそうなったからだと信じたかった。

決して彼のせいではなく、偶然そうなってしまった。タイミングが悪かった。だから私が助けにいくんだと。

 

でも、私の想いとは裏腹に、彼女はたった4文字の残酷な言葉を、私に突きつける。

 

「パチンコ」

 

どこかで聞き覚えがある———なんて思っては、「馬鹿だな」と首を振った。

どこにだってある。

パチンコなんて、どこにでもあるじゃないか。

そう、ずっと前だけど、彼と遊んでいた日に激しい雨が降ってきたことがあった。

その中を、私たちは必死で走って雨を凌げる場所を探した。

その時、ふと彼が立ち止まって見ていたもの。

「パチンコ」の看板。ネオンの光が、薄暗さの中で異様なほど眩しかった。

 

「パチンコ……」

もう一度、自分の中で反芻する。

彼があの時、ギャンブルに目覚めていただなんて、私は知らなかった。

だから止められなかった、私の責任かもしれない。

 

「伊織さん。悪いことは言わないから、島村とは縁を切ったほうが良い。島村にも、伊織さんのことを聞いたけれど、もう関係ないんだって言ってたわ。『もう俺はあいつのこと考えられないから』って、吐き捨てるように。びっくりした。私、あんなひどい言い方をする島村を、見たことがなかったから。表情も睨みつけるように私を見てて、怖かった。ちょっとあれは関わらない方が良さそうな感じよ。あの人、穏やかな人だったのに、とんだピエロね」

 

俺はあいつのことを考えられない。

 

本当にそれが彼の台詞だとしたら、あまりに酷い。

彼のことを心配してこれまで遠慮していた自分はなんだったのかと、虚しくなる。

 

「分かりました……ちょっと、心の整理をしたいので、今日のところはお引き取り願えますか」

「え、ええ。ごめんなさいね。急にこんなこと話して……。でも本当に、伊織さんのことが心配だから」

「いえ、由梨さんのおかげで、本当のことを知れましたから。ありがとうございます」

力なく頭を下げて、私は店から出てゆく彼女を見送った。

 

それからさらに一週間。

1日たりとも彼のことを考えない日がなかった。

彼とはもう会わない。

会っても良いことなんかない。

そう分かってはいるものの、彼のことが気になって気になって仕方がなかったのだ。

もしかしたら、彼は私の助けを欲しているのかもしれない。

借金だって、少しぐらいなら貸してあげられる———そんなくだらないことを考えては頭の中で消し去る毎日。

「やっぱり、見に行こう……」

彼の様子を。

そして、なんとか説得しよう。

彼が元の自分に戻れるように。もう一度、笑って話ができるように。

 

由梨が言った通り、彼の家の玄関は鍵が閉まっていなかった。

「お邪魔します……」

恐る恐る扉を開けて、彼の部屋に入る。

「和樹くん……?」

久々の彼の部屋は、もわっとした空気が漂っていて、埃臭い。

電気のスイッチをパチっと押してみるも、明かりはつかなかった。

「いないの?」

彼は部屋にいなかった。

どこかに出かけているのだろうか。

「どこに……」

思い当たる場所なんて、一つしかない。

私は部屋を出て、彼の家から離れ、電車に乗ってその場所に向かった。

 

いつか、二人で大雨の中を走った時とは打って変わって、今日は秋晴れだった。

時刻は夜の19時。10月のこの時間帯はもうとっくに日が落ちて暗いのに、晴れた夜空に浮かぶまん丸の月が明るい。

その明るさに背中を押されて、私は前方でまばゆい光を放つその店内を、外から覗いて見た。

「あ、いる……」

外から見て、一番手前側の列でパチンコを打っている島村和樹の背中が目に飛び込んできた。

お金がなくて借金だらけのはずなのに、それでもやはりパチンコに打ち込む彼を、痛々しいとさえ思う。

それなのに、そんな彼を何もせずに放っておくことができない私は、一層痛い女だ。

 

当たり前だが、私がどれだけじっと見つめていようが、背を向けた彼がこちらを振り返ることはない。

中に入ろうかと一瞬迷いはしたものの、やはりそこまでの勇気はなく、私は入り口から少し離れた場所で、彼が出てくるのを待つことにした。

 

時間が経つにつれて、外の気温がぐんと下がり、震えながら彼を待っていた。

そうして待つこと2時間。

ようやく店の扉が開き、彼が中から出てきた。

今だ、と思った私は、小走りで彼の前まで進む。

「久しぶり……」

目が合った瞬間、心臓が止まりそうになった。

だって彼が、私の知っている彼とは全く別人だったから。

無精髭をはやし、身体からは微かに異臭がする。水道も止められているのだろうか。

そして何より、蛇のような目つきで私を見る彼が恐ろしく身震いした。

「……誰だ」

分かっているはずなのに、そう吐き捨てる彼に私は少なからずショックを受ける。

「高山伊織よ。あなたの彼女———だったね」

「……俺に今更何の用だ?」

「一つだけ、あなたに言いたいことがあって来たの」

先ほどから挑発的な態度をとり続ける彼に対し、沸々と湧いてくる怒り。

自分でもこれほどの感情の変化を感じることを不思議に思った。

「なんだ」

彼の方もイラついているのか、チッと舌打ちし鋭い目つきで私を睨む。

その姿に一瞬だけ怯んだか、このまま逃げるわけにはいかない。

私は、勇気を振り絞って最後の言葉を口にした。

 

「ピエロならね、最後まで笑ってなきゃダメよ」

 

「は?」という彼の声と、「じゃあ」と私がさよならを告げる声が重なった。

それ以降、私は彼に背を向けて家の方向に走り出す。

 

走りながら空を見上げると、そこでは変わらずに明るい満月が私に笑いかけていた。

 

【第二話 終】

 

 

つづく

 

『アラサーだって、翼』第一話 束縛男と私のユリ(1)
『アラサーだって、翼』第一話 束縛男と私のユリ(2)
『アラサーだって、翼』第一話 束縛男と私のユリ(3)
『アラサーだって、翼』第一話 束縛男と私のユリ(4)

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『アラサーだって、翼』第二話 ギャンブル道化師(5)

 

 

*Profile
鈴木 萌里

京都大学文学部卒。2019年春から会社員。
本嫌いがなぜか突然本好きに転向。
小学生の頃に小説家を志す。
第4回田辺聖子文学館ジュニア文学選入選。
2019.1〜2019.5まで、京都天狼院書店HPにて、『京都天狼院物語〜あなたの心に効く一冊〜』を連載。得意ジャンルはヒューマンドラマ。
日々会社帰りの執筆活動を楽しみに生きている。

Twitter @rii_185515
note  https://note.mu/rii_185

 

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